イルカ漁は野蛮?それぞれの文化、歴史の尊重と人道意識

いま話題になっているイルカの追い込み漁。某環境保護団体等はイルカやクジラは高度な知性を持っているから残酷に殺すな、といいますが、
牛や豚、その他の家畜はどうなるのでしょうか。
牛や豚や羊等の家畜は、人間の力で繁殖させたりできて持続可能だから別に問題ない?
もちろんそうかもしれないですが、背景には巨大なビジネスが動いていたり、自分たちの文化や考え方が絶対に正しいという思い込みがあるのかもしれませんね。

また、中国や韓国では犬を食べる習慣が古来からあり、それについても現在、議論の的になっていますが、皆さんはどう考えますか?
確かに犬は可愛いし、人間の最良の友達だし、犬を食べるなんてとんでもない?
でも、それがその国で長く続けられている食文化、伝統だったら?
現地の人は、他の人種から上から目線で「野蛮だ、下品だ」といわれたら、反発するのではないでしょうか。

牛が神の乗り物、と考えるインド人ヒンズー教徒は、牛を食べる西洋人や日本人をどう思っているでしょうか。
イスラム教を信じる人は、やはり豚を食べる人たちに対して、「あんなに汚くて不浄のものを食べるなんて信じられない!」と心の中では思っていることでしょう。

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「ベジタリアン」、「動物愛護家」に潜む危険

いまは肉を食べないベジタリアンの人も先進国で増えてきていますね。
でも、宗教的な禁忌を守る、インドの厳しいビーガンの人達は、一切の肉や魚、卵、乳製品など食べません。
そこまで徹底しないと本当のベジタリアンとはいえないのではないでしょうか。

実際、食事として動物や生き物を食べなくても、先進国の暮らしは、家畜や動物によってもたらされた物で溢れています。
洗濯洗剤でさえ、ときに牛脂が含まれているし、衣類や靴、ファッション小物、化粧品、日用雑貨まであらゆるものに動物の脂や原料が使われています。
一切、動物を排除した暮らしはなかなか難しい。
徹底するなら、現代社会や文化との接触を絶って山に籠るしかないけれど、
そうすると日々の糧を得るため、逆に動物の殺傷なしに生きるのは難しくなる、という矛盾が生じます。

もちろん、動物を虐待して殺すのは言語道断ではあります。
しかし、と殺場の現状を見れば、牛や豚、鶏が一般の人が信じるように、安楽死させられているとは言い難い現実があります。
イルカ漁等に反対する人たちは、人間のそうした罪深さ、業の深さを意識せず、表面的なことだけで物事を判断し、
自分の身近で起こっていること、自分に都合の悪いことは見てみないフリをしているように見えます。

ベーガンのベジタリアンでも、洗剤は使うことでしょう。先進国なら、洗濯機だって、電気だって、日用雑貨だって使う。
快適な現代の暮らしは、様々な産業の連携で成り立っていて、畜産業などもその一部を担っています。

「動物愛護」それが一つのトレンドとなり、そして一つのプロパガンダとして、
有名人のイメージ戦略やそれをあてにしての資金集めの餌になることが、本当に動物を助けていることにはなりません。

動物愛護家だからといって、肉、魚、乳製品、卵を食べないからといって、自分が主張していることが完全に正しいと思い込むのは間違いです。
先進国ではもちろん言論の自由がありますから、自分の主義主張を持つのはいいことです。
ただ、それを他の文化圏や国に「正しい事」として押し付けるのは問題があります。

それでは、自分達の意見が狂信的に正しいと信じている、テロ組織と同じです。

自分のなかで、できることをしていくことに意義があるでしょう。
もちろん自分の意見として、発言や行動はしてもいいですが、狂信的にそれを人に押し付ける権利はどこにもないのです。

文化や宗教の違いがある中で、他国の習慣や伝統などを一方的に禁止するのは、本当に正しいのか、私たちは一度しっかりと考え、真実を知る努力をすべきでしょう。
表面的に、一方だけの主張に基づいた映画を見せられただけで、物事を100パーセント分かった気になってはいけません。物事には必ず表と裏があります。

ただ、一般の人は、わざわざ自分が手間と労力をかけて真実を調べたりしません。だから不特定多数の意見をコントロールすることなど、実際は簡単なのです。

昔からの伝統文化や習慣の危うさ

反面、おもに発展途上国などで行われている、女子割礼、呪術師信仰や魔女狩り、人身売買などは、見てみぬふりができない人権侵害です。
どこまで土着の文化や信仰に立ち入っていいのか、考えるべきことではありますが、基本的な人権は守られなければいけません。

昔、中国では身分の高い女性は「纏足」をしていました。もちろん、親は娘の将来の幸せを願って纏足を施したのでしょう。
でも纏足がもとで病気になったり、感染症にかかって死亡したり、それはリスクが高いものでした。

いまもアフリカや一部の地域では、不衛生な環境のなかで、女子割礼が行われたりして、死亡事故も多発しています。
人道的な見地から、それは禁止するようになっていますが、いまだに伝統として続けている地域も多いのです。

一例を挙げれば、エボラ出血熱が流行した地域でも、国境なき医師団から派遣された医師や看護師よりも、
土着の呪術師や伝統治療師を信じて、病を治してもらおうとする人があとをたたなかったとか。

現地の人にしてみれば、先祖の代から受け継がれてきた治療習慣や祈りのほうが、
西洋からの訳が分からない治療よりも信頼できるし、安心できるものだったのでしょう。
それによって感染がより広がってしまった部分もあります。

アフリカでは一部の政治家でさえ、呪術師に頼んで選挙での当選を祈願するらしいです。
南太平洋地域では、魔女と疑われた人が、残酷な殺されかたをするという事件もありました。
女子割礼も、有名モデルの告白で有名になりましたが、いまでもどこかで行われています。
人身売買も当たり前のようにはびこっています。

確かに、私たちの現代の常識からするとショッキングな事実ですが、ついこの間まで日本でもこうした土着信仰、祈祷により、疫病や天災などの災いを祓ってきた地域も多かったのです。川、海や山の神に生け贄を捧げることもありました。子供を売る事だって、貧しい農村では当たり前だったのに、いまではその事実は忘れ去られようとしています。

このように、世界はいまだ混沌としていて、どれが正しくて、どれが正しくないのかを判断するのは非常に難しいです。

人道的に明らかに間違っていることは別として、表面的な正しさや浅はかな知識だけで、いつも自分が正しいと思わないでください。
必ずもう一つの相反する主張も聞く耳を持つことです。
いつも上から目線で、他の国や文化のことをあざ笑ったり、批判する権利は、本当は誰にもないのです。